江戸時代初期から続くと云われる寺田屋は、幕末の頃には六代目伊助が主人でしたが、近江大津の旅籠から嫁入りした、お登勢が宿を切り盛りしていたようで坂本龍馬をはじめとした幕末の志士たちからも人望を集めていたといわれています。
(このあたりはドラマでご覧の通りです。)
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玄関から中を見たところ。
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中は龍馬に因む品々でいっぱい。
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俗に言う「寺田屋騒動」あるいは「寺田屋事件」と言われるものは2つあります。
一つは文久二年(1862)四月、尊皇攘夷を目指す薩摩藩士有馬新七らが島津久光の命を受けた奈良原喜八郎らによって弾圧された事件です。
これは薩摩藩内の尊皇派と公武合体派との対立が原因ですが当時、尊皇派は薩摩藩でも非主流であったため、有馬らのこころざしは後に続く志士たちに託される事になりました。
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有馬新七らと奈良原喜八郎らが争った一階の部屋。
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騒動の後、部屋は薩摩藩によって改装されたので、乱闘のあった痕跡は全く残っていない。
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もう一つは、当時薩摩藩と長州藩が手を結ぶために暗躍していた坂本龍馬が寺田屋に滞在中、伏見奉行所の捕吏にとりかこまれてしまった事件です。
慶応二年(1866)二月、まさしく薩長同盟が結ばれた二日後、一月二十五日の深夜に一階で湯浴みしていた龍馬の許婚、お龍が不審な物音に気付き、裸のまま二階へ駆け上がって龍馬に異変を告げたため、竜馬はピストルを撃って追っ手を威嚇しながら、屋根伝いに逃げることが出来たということです。
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龍馬の居室であった「梅」の間。
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「梅」の間の内部。肖像画はお登勢が伏見の画家に描かせたと言う龍馬の姿。
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龍馬がピストルを撃ったときの弾痕と云われている。
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「梅」の間に掛けられた額)。
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