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vol.53
その五十三  大河ドラマ「篤姫」ゆかりの地を訪ねて
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            
 今年のNHK大河ドラマ「篤姫」、皆様はご覧になっていますでしょうか?
 宮アあおいさん扮する主人公の天璋院篤姫は、幕末の動乱の中で多くの人物と関わりを持ちますが、篤姫本人とその関係者の足跡が京都にも幾つか残されています。
 先日、JR西日本が主催する「京の魅力 探訪ウォーク」の中で、「大河ドラマのヒロイン・天璋院篤姫に託された使命とは?!」と題して京都にある篤姫ゆかりの地を訪ねるイベントがありましたので参加してきました。

 
 ※クリックすると大きい画像がご覧いただけます。
 
@午前中は、講師の中村武生先生から、篤姫とはどんな人物か、また京都との関わりなどについて説明がありました。
定員40名満員の参加者はほとんど皆「篤姫」のOAを見ていたそうです。
Aまず、小松帯刀(こまつたてわき)邸跡と推測される同志社大学新町校舎にやってきました。ドラマの中では篤姫の幼なじみという設定の小松帯刀は薩摩島津家家老として活躍しますが、その邸宅は、桂小五郎も居住し、薩長同盟締結の舞台ともなりました。大久保利通の三男・利武の回想録より近衛家の中世期の邸宅跡の近衛家別邸を借りていたと推定されます。(注@)
BAの写真で皆が取り囲んでいるのはこの標識です。
「洛中洛外図屏風」の中に、有名な糸桜と共に近衛邸が描かれています。
C続いては幕末の薩摩藩邸にあった門を訪ねます。
現在は同志社大学今出川キャンパスの南側にあります。
薩摩藩邸は文久二年(1862)にそれまでの錦小路高倉(現在の大丸京都店)からこのキャンパスの北側に移動しました。
藩邸が取り壊された際に、門だけが今出川通り沿いの現在の位置に移築されたと考えられます。
(注A)
Dキャンパスの西側、烏丸通沿いには薩摩藩邸の石碑と説明の看板が建てられています。 Eこちらは御所の北西方向・烏丸通にある乾御門です。
文久三年(1863)諸大名に禁門警護を命じられた際、薩摩藩はこの門の警備を担当しました。
しかし、直後の朔平門外の変(猿ヶ辻の変)により薩摩藩は警護の任を解かれますが、同年八月十八日の政変以降、再びこの門の警備にあたり、翌年の禁門の変(蛤御門の変)では、ここ乾御門より長州勢に攻撃を仕掛けることになります。
F御所の中に入り、近衛邸跡を訪ねます。
豊臣期の天正年間以降、五摂家の筆頭、近衛家の屋敷は御所の敷地の北側におかれました。(幕末期の薩摩藩邸のすぐ近くです。)
篤姫は薩摩から江戸へ向かう途中に京都に立ち寄り、近衛殿にも挨拶に訪れたそうです。
G今では庭園の池と糸桜しか残っていませんがこの池を篤姫も屋敷から見たことでしょう。
H篤姫とは嫁姑の関係に当たる14代将軍家茂の御台所・和宮は、有栖川宮家との婚約の後、当時当主が不在で空殿であった桂宮邸を居所とします。ちょうど近衛邸の東隣に当ります。
御殿の建物は現在二条城本丸御殿となっています。
I内裏北東の角は鬼門に当るため、邪気を防ぐため角が凹んだ形になっています。
ここはEの朔平門外の変(国事参政姉小路公知が暗殺される)の舞台ともなり、また和宮が桂宮邸を出て江戸へ向かう際、兄の孝明天皇がこの辻角の近辺にあった築地穴門より出て、和宮の行列を見送ったと伝えられています。
この角は通称「猿ヶ辻」とも呼ばれます。それは…
J比叡山の守護社・日吉山王神社の使いといわれる猿を象った木彫りの猿の人形が角の屋根の下に祀られているところから名付けられました。(写真では分かりにくいですが、中央下の烏帽子を被っているのがそうです。)
金網が張り巡らされているのは、夜になるとこの猿が大声を上げて通行人に悪戯をするので閉じ込めてしまった、といういわれがあるそうです。
K「猿ヶ辻」から100m程南、内裏の東側が、和宮が生まれた橋本家があった所です。
L御所を北東側の石薬師門から出て寺町通を少し東に入ったあたりに、大久保利通が慶応二年(1866)から約二年、江戸に行くまで滞在したとされる住居跡の碑が立っています。
Aの小松帯刀邸から移築した茶室・有待庵があったとされています。
M臨済宗相国寺派大本山・相国寺の東側に薩摩藩戦死者の墓地があります。
元治元年(1864)の禁門の変(「甲子役」)から慶応四年(1868)の鳥羽伏見の戦い(「戊辰役」)までの薩摩島津家の戦死者72名を弔うためにつくられました。
敷地中央に大正4年(1915)建立の巨碑が立っています。
 今回歩いたのは1km四方にも満たない範囲でしたが、歴史上有名な人物が関わった場所があちこちにあるのに驚かされました。
 また、講師の中村先生は時折ドラマに出演される俳優さんの話なども交えながら(「自分の専門は歴史地理と宮アあおい」とおっしゃっていました。)ユーモアたっぷりにその場所に関わる歴史上のエピソードを話して下さいました。
 江戸時代の京都に関しては調査が進まずはっきりしない点も多く、今回も「まだ発表されていないのでここだけの話ですが…」という事で歴史上の人物に関わる色々なお話がありました。
(それらは当然ここにも書いておりませんが…)
 この催しはあと2回行われるようなので、幕末の歴史に関心のある方、大河ドラマ「篤姫」のファンの方はぜひ参加されてはいかがでしょうか。
 ※【京の魅力 探訪ウォーク】「大河ドラマのヒロイン・天璋院篤姫に託された使命とは?!」 の詳細はこちら↓

   http://kyoto-okoshiyasu.jp/plan08_win/plan_2/203002.html
 ※「京の魅力 探訪ウォーク」を含む「京都おこしやす大学 2008年冬・京を学ぶ旅」の案内はこちらです↓

   http://kyoto-okoshiyasu.jp/plan08_win/plan_index_win08.html
(2008年1月)
 ※3月15日に行われた同イベントの際、中村先生より

 (注@)小松帯刀邸は同志社大学新町校舎の場所とは断定出来ない。
 (大久保利武回想録などにある「(小松帯刀は)烏丸通に在ったと聞いて居ります近衛家御花畑の別邸を借り住居して居」
 という「御花畑御花畑の別邸」は、当時本邸の他に4ヵ所あった近衛家別邸の他の場所のものである可能性がある、とのこと)


 (注A)この門は、薩摩藩邸の門ではなく、1879年(明治12年)ここ(当時は徳大寺邸跡)に移ってきた華族会館京都分局が
 入手した閑院宮邸の正門であり、1952年(昭和27年)、同志社大学が土地と建物を譲り受け、現在に至るものである。

 と、訂正の説明がありましたので、ここに追記致します。 (2008年3月17日)

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